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『オスマン帝国500年の平和(興亡の世界史;第10巻)』林佳代子 

ログイン出来ない状況を読書にて気を紛らわせつつ、知識を蓄える。



オスマン帝国500年の平和 (興亡の世界史)オスマン帝国500年の平和 (興亡の世界史)
(2008/10/25)
林 佳世子

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いかに栄え、なぜ滅んだか。

このシリーズの煽り文句、素敵だ。読書心をくすぐります。
21タイトル中、オスマン帝国について扱っている巻を読みました。


遥か昔に私が世界史を習った時は「オスマントルコ」だった記憶があるのですが、
現在はオスマントルコという表記は使わずに、「オスマン帝国」が一般的なのですね。
オスマン帝国にはアナトリア・バルカン・アラブなどの人々が混在しており、
トルコ系が支配者層を独占していたわけではないとのこと。

私の乏しいオスマン観では、ヴェネツィアやイスパニアといった西欧諸国との対比で捉えがちなのですが、
それもほんの一面に過ぎないんだな、と。
サファヴィー朝、マルムーク朝、ハンガリー、などとの勢力争いの方が熾烈な印象を受けました。

8章で構成されているうち、スレイマン1世が第4章に当てられています。
まるごと1章なので、やはりというか当然というべきか重要な位置を占めているスルタンです。
在位は1520-1560。(DOLの年代と被るか、もしくは少し後になるかな?)

オスマン帝国の海運に関する描写を引用。

  ピーリー・レイスが残した地図や海図が示すように、オスマン帝国に出仕した人材のなかには当時の世界一流の技術者も含まれていた。しかし彼らの経験は十分に生かされることなく終わった。オスマン帝国の海軍は陸上の作戦の後方援護を目的としたにすぎず、ましてや海上交易を国家が主導することまでは考えられていなかったからである。オスマン帝国は、あくまで「陸の帝国」だった。
(p.136二段落目より)


妙に耳に残った言葉。
マクブール:お気に入り
キョプリュリュ家

[ 2009/06/01 00:00 ] [DOL関連]書籍 | TB(0) | CM(3)

ちびのあが 6月5日に生まれたよぉ
詳しくは商会BBSでw
[ 2009/06/06 21:41 ] [ 編集 ]

>のあさん

またいきなりいなくなってすみません。
落ち着いたらログインするぉ!

のあ2世も楽しみです。くれぐれもお大事に。
[ 2009/06/04 00:21 ] [ 編集 ]

ハルさん ごぶさたです。
お仕事いそがしそうですね。
時間ができたら
またインしてね。
(新人さんも入会し、
 復帰の人もちらほらいるので、ぜひ)
そして、のあ2世も産まれるかも!?
[ 2009/06/03 06:31 ] [ 編集 ]

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